もし明治時代に苗字をつけるなら、たぶん僕は人任せにしてた

ただの日記

今日、2月13日は「苗字制定記念日」なんだそうです。

明治時代に「平民苗字必称義務令」というものが出されて、すべての国民が苗字を名乗ることを義務づけられた日。それまで苗字を持っていなかった人たちが、一斉に「さあ、つけなきゃ」となったわけです。

これ、冷静に考えるとすごい状況ですよね。

だって昨日まで名前だけで暮らしてたのに、いきなり「苗字つけてください」って言われるんですよ。しかも自分で考えていい。自由。完全に自由。

当時は、酒好きでクダを巻くから「酒巻」にしたとか、女好きだから「女楽」にしようとした強者もいたらしい。いや、正直すぎるだろ。そのまっすぐさ、嫌いじゃないけど。

ただ、完全に何でもアリだったわけではないみたいで、下品な苗字や、「源」「平」「藤原」みたいな武士・公家の名門を勝手に名乗るのはNGだったそうです。まあそりゃそうですよね。隣のおっちゃんがいきなり「今日から源です」とか言い出したら、さすがにツッコまれる。

……ん? ちょっと待って。源しずか。しずかちゃん、もしかして元武家?あのお風呂好きのお嬢様感、実は由緒正しきお家柄だったのか。

それはさておき。

僕がもしその時代にいたら、絶対にそんな大胆なことはできないと思うんです。

たぶん、隣の人が「田中」にしたら「じゃあ俺も田中でええわ」って言ってる。完全に人任せ。もしくは「みんなどうするん?」って周りの様子をうかがって、最後の最後まで決められないタイプ。
締め切りギリギリに「もう何でもいいです、山田で!」みたいな。

考えてみたら、僕の日常ってわりとそういうことの連続なんですよね。

お昼ごはん何にする?と聞かれて「何でもいいよ」と答える。飲み会の店選びを任されて「みんなが行きたいところで」と返す。新しいガジェットが気になっても、誰かのレビューを見てから買う。

自分の意志、どこ行った。

でも、絵日記を毎日描くようになって、ちょっとだけ変わった気がします。
今日何を描くか、どの出来事を切り取るか。それって小さいけど、自分で決めることなんですよね。誰かに「これを描け」と言われてるわけじゃない。「今日はこれが面白かったな」「これを残したいな」って、自分のアンテナで選んでる。

たかが絵日記。されど絵日記。

毎日「今日の自分はこうだった」と記録していくと、なんとなく自分の輪郭が見えてくるんです。ああ、俺ってやっぱり食べ物の話ばっかりだな、とか。金曜日のテンションだけ妙に高いな、とか。ダイエット宣言、何回してるんだ、とか。

明治の人たちが苗字をつけるとき、きっと「自分は何者か」をちょっとだけ考えたと思うんです。
田んぼの近くに住んでるから「田中」。山のふもとだから「山本」。自分の暮らしや場所を見つめて、それを名前にした。

僕の絵日記も、似たようなものかもしれません。毎日の小さな出来事を拾い上げて、「これが今日の自分です」と記録する。大げさに言えば、日々の暮らしに名前をつけていく作業。

もし今、自分で苗字をつけ直せるとしたら何にするかなあ。

「絵日記」さん? いや、それはもう苗字じゃない。「焼肉」さん? 好きだけど、さすがに。お金持ちになりたいから「金持」さん? 願望ダダ漏れすぎる。

……やっぱり決められないので、隣の人と同じでいいです。

まあ、そんな優柔不断な自分でも、毎日絵日記だけはちゃんと描いてるので、よしとしましょう。決められないなりに、続けてることがあるだけで、わりと上出来なんじゃないかと思ってます。

ちなみに今日の絵日記はこちら。苗字についてあれこれ考えてる僕の様子を、よかったら覗いてやってください。

👉 https://youtube.com/shorts/MNGBaats-Yg

今日もお疲れさまでした。明日も関係ない苗字を名乗る勢いで、気楽にいきましょう。

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